紅茶いちゑ 喫茶去トピックス

日本でお茶を尋ねある記


1.2000年6月5日号:宇治で学んだこと−その1

 5月19日に宇治の京都府立茶業研究所を見学してきました。煎茶の茶摘みの時期は過ぎていて、てん茶(抹茶の原料)の製造中でしたが、日本茶を専門家から学ぶことは紅茶に対しても新たな発見がありました。 宇治の茶業研究所では研究用に様々な茶樹を栽培しています。茶樹は実生で増やすと、形質が変化してしまう可能性があるので、挿し木で増やしています。インドの紅茶でも挿し木栽培されたグレードの最後にクローナル(CL)の表記があるものを時々見かけます。スリランカの茶園でも挿し木苗を見ました。
 素人目にはあまり区別がつかない茶樹の中にベニホマレという葉が赤い珍しい品種があり、花も赤いので(普通茶の花は白)、庭木として欲しがる人が多いそうです。この木は紅茶向きの品種だそうです。
 インドやスリランカの茶園と比べて手入れが行き届いてるのは驚きます。日本では煎茶は機械摘みなので、それに合わせて茶樹の背丈が低いのですが、インドやスリランカでは胸もとくらいの高さがあり、品種の違いかとも思っていたのですが、手摘みの玉露やてん茶(抹茶の原料)の木は胸くらいの高さになっていました。放っておくと2mくらいの高さまで成長するそうです。
 品質管理の厳しい紅茶の茶園ではフラワリーオレンジペコー、オレンジペコー、ペコーの3枚摘みですが、覆いで遮光して育てられた玉露ではその2枚下(スーチョン)位までを新芽が開ききらないうちに(出開き)摘みます。この時期に茶葉に味がのり、しかも下の葉も固くなりきらないからです。

2.2000年6月20日号:宇治で学んだこと−その2

 新幹線の車窓から静岡の茶畑を眺めていると斜面に茶樹が植えられています。ダージリンでも山肌の急な斜面に茶畑が広がっています。摘み取りや灌漑のことを考えるととても不便な気がし、他の作物を育てるのに不適当な土地に茶樹を植えているのかと考えたこともありました。今回の見学で茶樹は乾燥には比較的強いが、水はけの良い土地でないと育たないと教わりました。田んぼのように水がたまってしまうようなところは向かないので斜面とか、川沿いの砂地とかに植えられているのです。
 それから、お茶の葉を摘んで、手揉みで釜炒り茶を作りました。1芯3葉か1芯4葉までの葉を摘み、230℃に温めたホットプレートに載せ、焦げないように軍手をはめた手でかき混ぜながら、十分に熱します。しんなりしてきたら不織布タイプのキッチンペーパーで包んで良く揉みます。それから、160℃に下げたホットプレートで混ぜながら水分を抜いていきます。徐々に温度を下げていき、最後は保温程度にして1時間くらいパリパリになるまで根気良く混ぜてきます。温度が高すぎると焦げてほうじ茶のようになってしまいます。でき上がりのお茶は黒味がかった深緑色で色こそ違え、ダージリンウーロンそっくりな外観でした。ダージリンウーロンはハンドメイドと言われていますが、揉捻を手でしているのでしょうか?
 さて、紅茶について色々な本が出版されていますが、どうも1978年発行の”紅茶技術講座”からの引用が多く、新しい知見が少ないようです。最近読んだ本の中でおすすめは農文協から昨年発行された”日本茶全書”(淵之上康元、渕之上弘子著、ISBN4-540-98213-3)です。日本茶について書かれた本ですが、紅茶についても触れられていますし、大変勉強になります。大きな書店の農業のコーナーに置かれています。但し、巻末の紅茶の入れ方の項は何かの本の引用のようです。

3.2001年5月20日号:ティーセットの歴史

 名古屋ボストン美術館で7月22日まで開催されている”紅茶とヨーロッパ陶磁の流れ―マイセン、セーブルから現代のティーセットまで”展を先週末見てきました。ボストン美術館はJR金山駅南口に隣接しており、新幹線の名古屋駅から在来線(東海道線、中央本線)に乗り換え5分程で行けるので、時間があったら一度ご覧になると随分参考になります。
 こういう仕事をしていると、時々”正式なティーセットを教えてください。”というメールを頂きます。相手の方は銀のティーポットに金彩のティーカップを期待されているのかなぁと思ってしまいます。日本の気候では銀器はすぐ錆びて黒ずんでくるので実用的ではありません。銀磨き専門のメイドが雇えれば話は別ですが…。
 今回の展覧会を見て、17世紀初頭、紅茶が高級な飲み物で王侯貴族のものであった時代、ティーポットは中国製や日本(古伊万里、柿右衛門)製の土瓶や急須またはそれをヨーロッパで模した陶器でした。中には赤い釉薬や鉄分の多い土で煎茶器に多い朱泥焼きそっくりの色合いのポットも展示されていました。銀器が出てくるのは時代が下がり、茶葉の価格が下がり、裕福な家庭で茶会を催すようになり、富を見せびらかすようになってからです。
 初期にはティーボールと言って持ち手が無い茶器を使っていました。紅茶が高価だったせいか、玉露用の小さい茶碗ほどしかない小さいボールのセットもありました。それらはやはり中国や日本から輸入した湯呑み茶碗や酒杯に同柄の茶托を組み合わせたものです。デミタスカップかと思うような形のセットもあり、茶器が平たいものは紅茶用、深いものはコーヒー用という区別も無意味な気がしてしまいました。 ティーセットが現代に近い形になったのは18世紀頃のようです。イギリスで中産階級にまで喫茶の習慣が広まるのは更に時代が下がった18世紀末のことで、それほど古くからの習慣ではありません。
日本では8世紀(天平時代)に歴史に喫茶の記事が出てきます。それ以前縄文後期の遺跡からも茶の種が出て来るそうです。そのまま葉を煮出したり、中国伝来の方法で釜入り茶にして飲んでいたのでしょう。14世紀南北朝時代には既にお茶を飲む習慣が庶民にまで広まっていました。現在の蒸して作る煎茶の製法が発明されるのは18世紀の中頃で、喫茶習慣がさらに幅広い階層に広がりました。
 紅茶が日本に伝わったのは明治10年代19世紀の終わりです。もともと煎茶に親しんできたので、紅茶も受け入れられやすく、20世紀初頭には広い階層が紅茶を飲むようになっていました。でも、煎茶は急須や土瓶を使っているのに、紅茶は茶漉しにお湯を通す方法が普及したのは不思議ですね。
 なお、中国の喫茶の歴史は大変古いものですが、最近日本でも流行している功夫茶の方法は1970年代中頃に日本の煎茶道の作法を真似て、台湾で考案されたものだそうです。もっと気楽にお茶に親しんでいる人の方が圧倒的に多いのでしょう。
 日本人はお茶文化に対してもっと自信を持っても良いのではないでしょうか?紅茶を特別なものにせず、飲むスタイルにこだわるよりもおいしく飲むことにこだわりたいと思っています。

4.2001年10月7日号:世界お茶まつり報告

 5日から静岡で開催されている世界お茶まつりO-CHA国際学術会議2001に来ています。5日には陶磁器から見るイギリスのお茶文化、6日は茶の起源、7日は紅茶の起源の発表を聞きました。後日刊行される講演集によらないと正確なことは書けませんが、記憶とメモで速報を書いています。
 イギリスにおける喫茶文化は初期にお茶が大変高価だった(17世紀中葉には茶葉1ポンドが技術者の2〜3月分の給料)こと、茶器が輸入品中心でこちらも高価だったことから、富裕層の富のひけらかしから出発しています。18世紀中頃から取っ手付きのカップが生産されるようになり、紅茶より先にイギリスに入ったコーヒーが初期から持ち手付きのカップで飲まれたのに、持ち手付きの紅茶カップが普及するのはかなり後になりました。中国や日本から茶器を輸入されるのに取っ手付きだと輸送中に壊れやすいこともありますが、あえて持ちにくいカップを優雅に持つことが育ちの良さを示すとされていたからだそうです。紅茶がもたらされる以前にヨーロッパの食卓に熱い食べ物、飲み物をとる習慣が無かったので、薄い磁器のカップでは茶碗もかなり熱くて不安定で修練がいることだったと思いますが、見栄をはってやせ我慢をしていたのかもしれませんね。
 茶の木の起源の発表では一般的には雲南省の大茶樹が自生している地域と言われていますが、茶樹の寿命は植物学的には500年ほどで、分布も雲南省だけでなく、北回帰線付近にベトナム、ミャンマー、アッサム台湾にも自生茶があるので、DNA解析などによる科学的な研究成果の発表を待たなければならないようです。ちなみに日本の茶の木は栽培種も自生種もDNA解析では2種類しかなく、韓国の茶樹とはDNAのタイプが異なり、中国には7種類あるのを考えると中国から同じ茶樹が1度ないし、数回もたらされ、そのうちの一部が野生化して山茶となったそうです。
 さて、紅茶の起源ですが、中国から船積みされた緑茶が赤道を越える間に発酵して紅茶になったと言う説はどうも嘘のようです。ウーロン茶で有名な武夷山脈の山岳少数民族シエ族が日干し発酵茶を作っており、その製法から武夷では発酵茶ができて紅茶になっていったようです。中国からイギリスへ輸出されたお茶には初期から武夷の発酵茶が含まれていたようです。ちなみに紅茶は発酵ではなくて、厳密には酸化させたお茶だそうです。微生物発酵させると黒茶(プアール茶など)になります。

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